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寺崎英子写真集『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』
著者:寺崎英子(テラサキエイコ)
編集:寺崎英子写真集刊行委員会(小岩勉・鈴木まどか・柴崎春俊)
デザイン・伊藤裕
発行:小岩勉
発売:荒蝦夷
サイズ:A5判 ページ数:448ページ
発行日:2023年03月31日
*特典ポストカード付き
目次
鉱山とボタ山
長屋に暮らす
閉山・陸にあがる日
去るひと 残るひと いつか戻るひと
定点に立つ
消えていく長屋
町を見送る
ヤマに還る
いつかアカシアの花の降る場所で
あとがき/小岩勉
寺崎英子/1941年、旧満州生まれ。終戦後、家族とともに宮城県鶯沢町細倉(現・栗原市)に移住。幼少期に脊髄カリエスを患い、闘病ののち家業の商店の経理を担った。細倉鉱山の閉山が発表された直後の1986年から鉱山の町に暮らす人々を撮り始め、膨大なフィルムを残した。2016年逝去。
小岩勉/1962 年、岩手県一関市生まれ。写真家。宮城教育大学小学校教員養成課程卒業。写真集『女川海物語』『野守の鏡』『FACES OF HUMANITY』ほか。1999年度宮城県芸術選奨新人賞。
宮城県北西部の町、鶯沢町(現・栗原市)にかつて栄えた細倉鉱山は、日本有数の鉛と亜鉛の鉱山でした。
閉山が発表されると、ずっとここで暮らしていた寺崎英子さんはカメラを持ち、身近な風景と町の人たちをつぶさに撮り始めました。撮影時期は1986年〜1999年の13年間。それは昭和の終わりから平成の前半、つまり日本社会がガラガラと変わっていく時期と重なります。
2015年のある日、英子さんは「写真集をつくって」と総数一万千カット以上のネガが入った缶と菓子箱を託し、翌年、完成を見ずに75歳で亡くなってしまいます。英子さんからネガを託されたのは、仙台市在住の写真家小岩勉さん。「重い宿題を背負ったな」と思いつつ、その後小岩さんは「寺崎英子写真集刊行委員会」を一人で立ち上げ(その後二人参加)、仙台のデザイナー、キュレーター、出版社、文化事業団など各方面の協力のもと、ネガを受け取ってから6年の時をかけて、ついに『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』を完成させました。
写真のなかで、無くなっていく風景と暮らしのさみしさが子どもたちの笑顔と共鳴してきらきら光っています。
収録作品数は432点。失われた時がここにあります。