中動態の映像学 東日本大震災を記録する作家たちの生成変化
著者:青山太郎
出版社:堀之内出版
発行年:2022年1月31日
ブックデザイン:末吉亮(図工ファイブ)
装画:瀬尾夏美
組版:江尻智行(トム・プライズ)
印刷製本:中央精版印刷株式会社
サイズ A5判 373ページ
ソフトカバー
〜堀之内出版のサイトより〜
酒井耕・濱口竜介、鈴尾啓太、小森はるか――
震災を記録してきた3組の作家たちの実践から、映像メディア理論の新境地を開く。
今日のメディア・テクノロジーは、世界のあれこれの出来事をほとんどリアルタイムに私たちに見せる一方で、それらを次々と処理していくことを同時に要求している。
そのなかで私たちは、日々膨大な情報に埋もれてしまい、眼前に存在する他者や未知の出来事をアクチュアルに見る能力を著しく低下させてはいないだろうか?
東日本大震災を記録した3組の「作家」たちの実践を通じて、「中動態」という概念を手がかりに他者と共生するための想像力の可能性を探る。
【推 薦】
東日本大震災後に生まれた市民アーカイヴ、せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称:わすれン!)」という場の重要性はどれだけ語っても語り尽くせないが、本書の記述の瑞々しさは当時のざわめきを甦らせてくれた。事態のただ中へと巻き込まれ、学び、変わってゆくこと。「中動態の映像学」はここから始まる。
――濱口竜介(映画監督)
映像テクノロジーの歴史性や、環境映像環境学の成果をとりいれつつ、東日本大震災にまつわる膨大な映像群を「芸術的中動態」の概念からとらえ、ドゥルーズの『シネマ』論の「世界への信」へと至る。本書は、「見ること」と「作ること」を巡り、「災害」と全員が当事者でありうるこの時代の映像のあり方を鮮烈に示す必読書。
――檜垣立哉(哲学者)
目次
目 次
はじめに
序 章 〈見る〉をめぐる困難について
第一節 〈見る〉と映像生態系
第二節 〈見る〉の上滑り
第三節 震災をめぐる表現への批判
第四節 〈隔たり〉を行き来する回路
第五節 ポストメディア概念と〈見る〉
第一章 〈見る〉とメディア・テクノロジーの系譜学
第一節 マスメディア批判の言説の系譜
第二節 日本における映像受容空間の変遷
第三節 「意識の技術」としてのニューメディアへの疑念
第四節 フランスのメディア事情の変遷
第五節 ポストメディア論の輪郭
第二章 様々なるアーカイブ論への問い
第一節 アーカイブ理念の再検討
第二節 東日本大震災をめぐるデジタルアーカイブ
第三節 災害アーカイブにおける映像記録の位置づけ
第四節 災害アーカイブ論批判
第三章 映像生態系としての「わすれン!」の特異性
第一節 〈作る〉を支えるせんだいメディアテーク
第二節 「わすれン!」の理念と役割
第三節 コミュニティ・アーカイブとしての位相
第四節 〈見る〉と〈作る〉をアップデートさせる「場」
第四章 三つの映像制作論と作家たちの生成変化
第一節 酒井耕・濱口竜介と〈いい声〉
東北記録映画三部作の概要
対話を記録するという方法
〈いい声〉をめぐる編集
第二節 鈴尾啓太の反復
『沿岸部の風景』という作品について
震災をめぐる姿勢と葛藤
逡巡と葛藤のなかで成立する制作
第三節 小森はるかの触発的記録
記録と表現のあわいをゆく
『あいだのことば』の方法論
『波のした、土のうえ』の方法論
第四節 イメージが立ち現れるということ
第五節 未知なるイメージをつかまえるということ
第五章 〈作る〉と〈見る〉を結び直す中動態論
第一節 中動態をめぐる言語学的検討
第二節 芸術学への中動態の導入
第三節 複眼的中動態と主体性の生成変化
終 章 〈見る〉から〈信じる〉へのイメージ論
第一節 世界への信を回復するということ
第二節 「より深い外部」のイメージ
第三節 〈わからなさ〉を探索するということ
おわりに
参考文献
著者プロフィール
青山 太郎 (著/文)
1987年、愛知県生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(学術)。現在、名古屋文理大学准教授。今日のメディア環境における映像制作の美学と倫理学のあり方を探求している。また、映像デザイナーとして国内外で制作・展示活動を手がける。